暦の整理メモ

Wikipedia などをみてまとめた個人的な整理メモ。間違ってる部分も多かろう。

秒と時分

平均太陽日の1/86400に由来し、セシウムを用いて定義された現代における時間の基本単位。また60秒を1分。3600秒を1時間と定義する。

地球が360度自転するのに要する時間は86164.1秒(23時間56分4.1秒)である。これは地球から見たとき、特定の恒星が南中してから再び南中するまでに要する時間であるため恒星日と呼ばれる。

一方地球は自転とともに公転しており、相対的に太陽の位置が変化する。そのため、太陽が南中してから再び南中するまでに恒星日より余計に平均4分弱必要とする。太陽を基準にした日を太陽日と呼ばれる。

ただし地球は楕円軌道を描いており公転の速度が季節によって変化する。また地軸の傾きにより太陽が赤道面から遠いときほど速く見える。このことにより視太陽日の長さは異なる。平均した太陽日の長さは86400秒(24時間)となる。

人間をはじめ動植物は昼と夜のサイクルによって生活を営んでいる。そのため一般的に日といえば太陽日を指す。

地球が360度公転するのに要する時間は365.25636太陽日(365日6時間9分9.5秒)である。これを恒星年と呼ぶ。

一方で地球から見て、太陽が春分点を通過してから再び春分点に戻るまでの周期を(春分)太陽年と呼び、365.24219太陽日(365日5時間48分45.4秒)かかる。また太陽年を回帰年とも呼ぶ。

恒星年と太陽年が異なるのは地球は歳差運動により自転軸を回転させているからである。すなわち歳差により赤道面が変化し、赤道面と黄道面の交点である春分点等の位置が変化するからである。

歳差により春分点が西側にずれるため、太陽年は恒星年よりも20分24秒ほど短い。これは恒星年の1/25782.8の期間に相当するため、歳差の周期は約25800年と推測できる。

歴史的に地球から太陽を見て年を測っていた。また季節は赤道面と黄道面のズレからくるものであるからか、今でも一般的に年といえば太陽年を指す。

なお、天文学においてはユリウス年を用いることがある。ユリウス年は31,557,600秒(365.25日)のことである。たとえば1光年は光が1ユリウス年のあいだに進む距離を指す。

月が地球を360度公転する時間は27.32太陽日である。これを恒星月と呼ぶ。

月の満ち欠けの期間のことを朔望月と呼び、29.53太陽日となる。すなわち1太陽年は約12.37朔望月となる期間である。恒星月と朔望月が異なるのも地球の公転によるものである。朔(新月)は太陽と月が同じ方向(黄経差が0度)のときであるため、太陽の位置の変化に影響を受ける。

朔望はどの地域でも、時間とともに目に見えて変化するものであるため多くの地域で月という期間の単位が作られた。これが太陰暦である。

太陰暦

月をベースとした暦を太陰暦という。イスラム教社会におけるヒジュラ暦などが今でも使われている。

新月の日を1日とし、次の新月の日の前日までを1ヶ月とする。1ヶ月の期間が29日の月を小の月、30日の月を大の月と呼んだ。

12ヶ月(12朔望月)を1年とするため太陽年より約11日分短い。このことにより月がずれていくため、月の名前と季節との関係性はない。9月が夏の年もあれば冬にくる年もある。

太陰太陽暦

月の満ち欠けをもとにした太陰暦ではあるが、純粋太陰暦と異なり約3年に1回のペースで13ヶ月の年を作ることにより太陽の動き(季節)とあまり差がでないようにしたもの。中国や日本で以前使われていた。

この余分な月を閏月と呼ぶ。

太陽暦

地球からみた太陽の動きをもとに作られた暦。現行のグレゴリオ暦では400年のうち365日ある年を303回、366日ある年を97回とすることで、平均365.2425太陽日という天文学的な太陽年と非常に近い値にしている。

この余分な日を閏日と呼び、閏日をもつ年を閏年と呼ぶ。

太陽暦における月は名残りとして残っているのみで、期間も朔望月とは関係ない28〜31日であり、月相とも関係ない。

季節

地球の地軸は公転面に対して傾いているが、逆に地軸をz軸とする赤道座標において公転軌道が傾いていると考えた方がわかりやすい。

    . ←地球
   / ←黄道
----○----←赤道面
 /↑
  太陽

上図のように軌道上で北に位置するとき、日照量は南半球の方が多い。すなわち南半球の夏となり北半球の冬となる。同様に地球が南に位置するとき北半球において夏となる。

春分点とは赤道面に対して黄道が南から北へと交わる点(昇交点)を指し、(地球から見たとき)春分点を太陽が通過する瞬間を春分と呼ぶ。つまり、図の手前側が春分点であるとき地球は奥側に位置する。

地球が反時計回りに公転することにより季節は春(奥)→夏(左下)→秋(手前)→冬(右上)と循環する。

二十四節気

太陽暦は太陽をベースとしているため季節感は変化しない。つまり春分はだいたい3月20日〜21日となる。一方で朔望と日は一致しない。

これは言い換えれば太陰太陽暦朔望と日は一致するが季節感は一致しない。事実、旧正月(旧暦睦月一日)は2009年から2012年まで1月26日、2月14日、2月3日、1月23日と推移していたが、立春はともに2月4日だった。

そのため、農業や生活のために季節を正しく知るために太陰太陽暦とは別に二十四節気というものを用いた。現代では太陽暦において二十四節気はほぼ固定されているため、天気予報などで耳にする程度となった。

二十四節気の定め方は平気法と定気法とにわかれる。平気法は冬至を起点に一年を時間的に24分割にする方法で昔から使われていた。

一方、1644年以降の中国や1844年以降の日本では、春分点を黄経0度とし、15度ずつ分割した点を太陽が通るときを二十四節気とする定気法が用いられた。すなわち太陽黄経315度のときは立春であるといったような定め方をしている。

閏月

太陰太陽暦において閏月は約3年に1回。19年に7回挿入することで季節とのズレを解消するものである。

中国では太初暦(紀元前104年〜)以降、冬至を含む月を11月とし二十四節気の中気(雨水・春分穀雨・小満・夏至大暑処暑秋分霜降小雪冬至大寒)を含まない月を閏月とした(歳中閏月法)。

一方、日本のいわゆる旧暦といわれる天保暦(1844年〜1872年)では冬至春分夏至秋分を含む月をそれぞれ11月、2月、5月、8月とし、中気を含まない月を閏月とするが、含まない月はすべて閏月とは限らないとした。また、天保暦は定気法を採用したため、中気を含まない月や2つ中気を含む月が現れてしまう。詳しくはwikipedia:旧暦2033年問題

天保暦以前の和暦の置閏法については未調査(中国と同様?)。

黄道十二宮

黄道を12の領域に分割したもので、太陽がどの位置に存在するか(また存在するときに生誕したか)で占ったりされる。

木星の公転周期が11.86年であるため黄道上に12の星座が作られたこと、また1年が12.37朔望月であり12ヶ月であることなどから12分割されたと思われる。

歳差により春分点が変化するため基点をどこにとるかが分かれるそうだが、西洋占星術のトロピカル方式では現代の春分点から30度ずつ分割する。これはすなわち黄経0〜30度の領域をもつ白羊宮は、春分から穀雨の期間に太陽が存在する位置であり、二十四節気と対応付けることができる。

十二次と十二辰

木星の公転周期が11.86年であるため、中国では赤道上を12等分した十二次と十二辰という領域の区分がある。

十二次は西から東へと等分したもので、1年後には木星の位置は1次進む。また十二宮と同様に二十四節気と対応しており、季節を知るのに使われていた。

十二辰は十二次と同じ領域をもつが、逆に東から西へと分割したものである。これは日周運動と同じ方向であるが、木星の動きは逆となるため太歳と呼ばれる木星の反対にある架空の星をつくり、その星がどこにあるか記録した。

十二辰の各辰は子・丑・寅……という十二支であり、太歳の位置から各年を十二支で表すようになった。

未稿

定時法不定時法、個々の暦の歴史

昔のことは当時の思想や風俗が絡むのでどこまで解釈があっているか……。ちゃんとした本で勉強したい。